系図rekizu

乙巳の変

645飛鳥

経過

皇極天皇4年(645年)6月、中大兄皇子と中臣鎌足らが飛鳥板蓋宮の大極殿で蘇我入鹿を暗殺した政変。翌日には父の蘇我蝦夷も邸に火を放って自害し、蘇我本宗家は滅亡した。皇極天皇の譲位により孝徳天皇が即位して中大兄皇子は皇太子となり、大化の改新の端緒となった。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

皇極天皇古人大兄皇子中大兄皇子中臣鎌足蘇我倉山田石川麻呂蘇我入鹿蘇我蝦夷皇極2年11月皇極3年6/126/136/146/199月斑鳩宮を襲撃山背大兄王・自刃蹴鞠を機に盟約縁組で引き入れ進調の儀に誘引上表文を奏読大極殿で斬撃佐伯子麻呂・先鋒網田・先鋒他1名帝に無実を訴え皇極天皇・退避斬殺される私宮に籠る遺骸が邸へ届く法興寺に布陣邸に兵を集結巨勢徳多・交渉邸を焼き自害軽皇子に譲位新政権を発足吉野を攻める吉野で誅殺入鹿は聖徳太子の子・山背大兄王を斑鳩宮に襲わせた。王は生駒山へ逃れたのち、一族と共に自害した。法興寺の蹴鞠で皇子の沓を拾ったのを機に鎌足は中大兄皇子へ接近し、蘇我宗家打倒の志を共にした。鎌足は石川麻呂の娘と中大兄皇子の婚姻を仲立ちし、蘇我一族の有力者を密議の同志に引き入れた。三韓進調の儀式を設けて入鹿を板蓋宮の大極殿へ召し出し、俳優を用いて用心深い入鹿の剣を外させた。石川麻呂が上表文を読み上げたが、刺客が進み出ず声は乱れ汗が流れた。入鹿は不審を抱いて問うた。宮門を閉ざした中大兄皇子は自ら斬りかかり、佐伯子麻呂らが続いて入鹿に深手を負わせた。入鹿は玉座ににじり寄って無実を訴えたが、皇子は蘇我氏の専横を奏上。天皇は殿中へ退いた。天皇が退くと子麻呂らがとどめを刺した。遺骸は庭に下ろされ、雨の中むしろを掛けて置かれた。変を目撃した古人大兄皇子は「韓人が鞍作臣を殺した」と語って私宮へ走り、門を閉ざした。入鹿の遺骸は甘樫丘の蝦夷の邸へ運ばれた。変報に接した蘇我方は抗戦か恭順かで大きく動揺した。皇子は法興寺に入って砦として兵備を固めた。諸皇子や群臣の多くがこれに従い、大勢は決した。蝦夷方は甘樫丘の邸に漢直らの兵を集めたが、巨勢徳多の説得を受けて衆は戦わずに散り去った。翌日、孤立した蝦夷は邸に火を放って自害し、蘇我本宗家は滅亡。天皇記などの記録も炎に包まれた。皇極天皇は史上初とされる譲位を行い、軽皇子が孝徳天皇として即位。中大兄皇子は皇太子となった。阿倍内麻呂を左大臣、石川麻呂を右大臣、鎌足を内臣とし、年号を大化と定めて改新に着手した。出家して吉野へ退いた古人大兄皇子に謀反の密告があり、中大兄皇子は兵を遣わして攻めさせた。古人大兄皇子は吉野で討たれた。有力な皇位継承候補が除かれ、新体制の基盤が固まった

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 変報・急報(知らせが届く)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • imperial
  • nakatomi
  • soga

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