系図rekizu
本能寺の変前後

中国大返し

1582中国戦国時代

経過

天正10年6月、毛利と講和した羽柴秀吉が備中高松から摂津まで約200kmをおよそ一週間で駆け戻った強行軍。姫路城で全財産を将士に分配して士気を高め、尼崎・富田で織田信孝や丹羽長秀らを迎えて陣容を整え、山崎の戦いへと直行した。

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羽柴秀吉羽柴軍毛利軍織田信孝6/66/76/86/96/116/126/13高松を撤収官兵衛・共同追撃を見送る小早川隆景・静観姫路城に到着金銀米を分配姫路を出発尼崎に到着中川清秀・共同高山右近・共同富田で合流丹羽長秀・共同池田恒興・共同山崎へ進出講和成立を確認した秀吉は殿軍を残して陣を払い、全軍を東の沼城へ向けて発した。変を知った毛利方では追撃論も出たが、小早川隆景らが誓紙を重んじて動かなかった。豪雨と増水の悪路を昼夜兼行で進み、軍は驚異的な速さで居城姫路に帰り着いた。秀吉は城内の金銀と兵糧米を惜しみなく将士に分け与え、決戦への士気を高めた。休養を終えた軍は姫路を発し、明石・兵庫を経て摂津路をひた走った。軍は尼崎に達した。摂津衆の中川清秀・高山右近らが相次いで秀吉方への参陣を決めた。四国渡海を控えていた信長三男の信孝が丹羽長秀・池田恒興らとともに秀吉軍に合流した陣容を整えた約4万の大軍は山崎方面へ進出し、明智軍との決戦態勢に入った。

登場人物

主要人物

羽柴秀吉羽柴軍毛利軍織田信孝