系図rekizu

本能寺の変前後

1582近畿戦国時代

経過

天正10年、武田氏滅亡で絶頂に達した織田信長が、家臣明智光秀の謀反により本能寺で横死し、天下の趨勢が一変した一連の流れ。中国大返しで戻った羽柴秀吉が山崎で光秀を討ち、清洲会議と賤ヶ岳の戦いを経て信長の後継者としての地位を確立していく。

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武田勝頼織田信長織田信忠徳川家康明智光秀羽柴秀吉柴田勝家3/114月下旬5/155/265/285/296/1夜6/2未明6/26/2〜46/46/5〜96/6〜136/136/13深夜6/156/274/21甲州征伐 ▸高松城水攻め ▸安土で饗応亀山へ帰還愛宕百韻本能寺入り亀山城を出陣本能寺の変 ▸信忠自害伊賀越え ▸服部半蔵・先導毛利と講和清水宗治・自刃孤立深まる細川藤孝・応ぜず筒井順慶・静観中国大返し ▸山崎の戦い ▸光秀の最期坂本城落城明智秀満・自刃清洲会議 ▸三法師・共同賤ヶ岳の戦い ▸信長は駿河拝領の礼に訪れた家康を安土で饗応。接待役の光秀は途中で中国出陣を命じられた。出陣準備のため光秀は坂本を経て居城の丹波亀山城に戻り、丹波の兵を集めた。光秀は愛宕山に参籠して連歌会を興行。発句「ときは今」は後に謀反の decision と解された。中国出馬を控えた信長は小姓衆のみを従えて上洛し、定宿の本能寺に入った。光秀は約1万3千を率いて亀山を発し、老ノ坂を越えて進路を京へ転じた。信忠は二条新御所に移って防戦するが力尽きて自害。織田政権の中枢が一日で崩壊した。変報を秘した秀吉は清水宗治の切腹を条件に毛利と即座に講和を結んだ。光秀は安土接収や朝廷工作を進めたが、細川父子や筒井順慶に協力を断られ孤立した。坂本へ敗走する途中、光秀は小栗栖で落武者狩りに襲われ落命したと伝わる。明智秀満の籠る坂本城が落城し、明智一族は滅亡。近江の明智方拠点は一掃された。

登場人物