系図rekizu
関ヶ原の戦い前後

第二次上田合戦と秀忠軍の遅参

1600中部安土桃山時代

経過

中山道を西上する徳川秀忠軍約3万8千が、真田昌幸・信繁父子の籠る上田城攻めに手間取った戦い。上洛督促の使者も大雨で遅れて届き、徳川主力の一角は関ヶ原本戦に間に合わなかった。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

徳川秀忠徳川家康真田信之真田昌幸真田信繁8/249/29/49/69/89/99/20中山道を西上開城を勧告真田信之・交渉一転して拒絶上田城下の攻防真田信繁・共同上洛督促が到着上田を捨て急行本多正信・共同大津で家康謁見秀忠は徳川譜代を中心とする約3万8千を率いて宇都宮を発ち、中山道を進んで信濃小諸に着陣した。秀忠は昌幸の長男で東軍に付いた信之らを使者に立て、上田城の明け渡しを求めた。いったん恭順を装った昌幸は約束を翻して籠城の構えを見せ、秀忠を挑発して城攻めへ誘い込んだ。刈田をきっかけに城下で戦闘となり、伏兵と城からの逆襲で徳川方は少なからぬ損害を出した。美濃へ急げとの家康の命が、大雨による使者の遅延でようやく届き、秀忠は即時西上を迫られた。秀忠は城攻めを打ち切り、本多正信らと木曽路の悪路を強行軍で西へ急いだが、行程はなお遠かった。本戦に間に合わず決戦の5日後に近江大津へ到着。家康は不興で、しばらく対面を許さなかったと伝わる。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 変報・急報(知らせが届く)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • 徳川
  • togun
  • sanada

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