系図rekizu

経過

天正10年6月、家臣の明智光秀が京都・本能寺に宿泊中の織田信長を急襲し自害に追い込んだ政変。嫡男信忠も二条御所で討たれた。中国攻めから引き返した羽柴秀吉が山崎の戦いで光秀を破り、天下の趨勢は大きく動いた。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

徳川家康織田信長織田信忠明智光秀羽柴秀吉丹羽長秀5月6/1夜6/2未明6/26/3夜6/46/56/66/9頃6/116/136/14安土に招き饗応中国出陣を命令亀山城を出陣本能寺を襲撃斎藤利三・先鋒自害森蘭丸・討死二条御所を襲撃村井貞勝・討死自害誠仁親王・退避堺で変報茶屋・急報備中に変報伊賀越えで帰国服部半蔵・先導穴山梅雪・横死信澄を討つ津田信澄・討死織田信孝・共同講和し大返し清水宗治・自刃恵瓊・交渉与力へ協力要請細川藤孝・応ぜず筒井順慶・静観秀吉軍に合流山崎の戦い敗死弔い合戦へ出陣信長は武田討伐の礼として家康を安土城に招き、光秀に接待役を命じて手厚くもてなした信長は毛利攻めの秀吉を援護するよう光秀に出陣を命じ、光秀は坂本・亀山へ戻り兵を整えた。光秀は亀山城を発ち、老ノ坂で進路を京へ転じた。「敵は本能寺にあり」の逸話で知られる。早暁、明智勢1万余が本能寺を包囲・急襲。わずかな供回りの信長は寡兵で応戦した。奮戦の末に負傷した信長は寺に火を放ち自害。遺骸は発見されなかったと伝わる。光秀勢は嫡男信忠の籠る二条御所にも攻め寄せ、激しい市街戦となった。信忠は誠仁親王を脱出させたのち防戦するも力尽き、御所で自害した。堺遊覧中の家康は茶屋四郎次郎の急報で変を知り、少人数での帰国を迫られた。備中高松城を囲む秀吉のもとへ変報が届く。秀吉は情報を秘し、和睦交渉を急いだ。家康は服部半蔵らの先導で険しい伊賀路を抜け、三河へ生還した(神君伊賀越え)。光秀の娘婿という嫌疑から、丹羽長秀と織田信孝が大坂で津田信澄を討った。秀吉は清水宗治の切腹を条件に毛利と講和し、全軍を京へ返す「中国大返し」を敢行した光秀は縁戚の細川・筒井らに協力を求めたが、いずれも動かず孤立を深めた。摂津に戻った丹羽長秀・織田信孝らが秀吉軍に合流し、討伐軍の陣容が整った。天王山を扼した秀吉軍が山崎で明智勢を撃破。光秀の天下はわずか十数日で潰えた。敗走した光秀は近江・小栗栖で落武者狩りに遭い落命したと伝わる。帰国した家康は信長弔い合戦のため出陣するが、山崎の報で撤退し甲斐・信濃へ転じた。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 変報・急報(知らせが届く)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • 徳川
  • 織田
  • 明智
  • 羽柴

矢印のラベルにマウスを乗せると、その事象の説明が表示されます。