系図rekizu
本能寺の変前後

家康の伊賀越え

1582近畿戦国時代

経過

天正10年6月2日、堺遊覧中に本能寺の変を知った徳川家康が、わずかな供回りで山城・伊賀の山中を踏破して三河へ帰還した脱出行。土豪の襲撃が相次ぐ中を服部半蔵らの先導で切り抜け、同行した穴山梅雪は途中で落命した。後に「神君伊賀越え」と称される。

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徳川家康穴山梅雪6/2朝6/26/3〜46/46/5頃堺で変報茶屋・急報帰国を決断本多忠勝・共同酒井忠次・共同宇治田原へ別行動を選択横死伊賀路を越える服部半蔵・先導白子から海路岡崎に帰着堺遊覧を終え上洛途上の家康に、茶屋四郎次郎が信長横死の急報をもたらした。供回りは数十人のみで戦えず、家康は本多忠勝らの進言を容れて三河への強行帰国を決めた。一行は河内から山城へ抜け、茶屋の銭で土豪を懐柔しながら宇治田原に宿った。同行していた武田旧臣の穴山梅雪は家康一行と離れ、別路をとって帰国しようとした。梅雪は山城国の木津川畔で土民の襲撃に遭い、落命したと伝わる。家康は信楽から険しい伊賀の山道を越えた。服部半蔵が伊賀・甲賀の者を集めて護衛した伊勢に抜けた一行は白子の浜から船に乗り、伊勢湾を渡って三河大浜に上陸した。岡崎城に帰り着いた家康は、ただちに光秀討伐の弔い合戦へ向けて軍備を整え始めた。

登場人物