系図rekizu

経過

治承4年8月、伊豆で挙兵した源頼朝が相模石橋山で平氏方の大庭景親らに大敗した戦い。山木兼隆討伐で緒戦を制した頼朝は300騎で布陣したが、3千余騎の夜襲を受けて壊滅。山中に潜伏したのち海路安房へ脱出し、房総での再起へとつながった。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

源頼朝山木兼隆大庭景親伊東祐親三浦軍8/17夜8/208/23夜8/238/248/28山木館を襲撃北条時政・共同兼隆敗死石橋山に布陣豪雨の夜戦佐奈田義忠・討死背後を遮断三浦勢引き返す洞窟に潜伏梶原景時・静観海路安房へ脱出土肥実平・先導頼朝は北条時政ら伊豆の与党とともに挙兵し、目代山木兼隆の館を夜襲して緒戦を制した兼隆は館で討ち取られ、その首は頼朝のもとへ届けられた。挙兵成功の報は伊豆一円に広まった。頼朝は三浦一族との合流を図って相模へ進み、300騎で土肥郷に近い石橋山に陣を敷いた。平氏方の大庭景親は3千余騎で豪雨の夜に総攻撃を仕掛け、寡兵の頼朝勢は奮戦むなしく壊滅した。伊東祐親も300騎で背後の椙山口を塞ぎ、頼朝は三浦勢との合流を断たれ山中へ追い込まれた。増水で進軍の遅れた三浦勢は合流を断念して本拠へ戻り、途上の由比ヶ浜で畠山勢と交戦した。頼朝は椙山の巌窟に潜んで追撃を逃れた。捜索の梶原景時が所在を悟りつつ見逃したと伝わる。頼朝は土肥実平の手引きで真鶴岬から小舟に乗り、安房国へ渡って再起を期すこととなった。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 軍・勢(部隊単位のライフライン。幟旗つき)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • kamakura
  • heishi

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