系図rekizu

治承・寿永の乱前後

1180全国平安時代

経過

治承4年(1180)の以仁王の挙兵に始まり、源頼朝・源義仲ら諸国の源氏と平氏が争った約6年に及ぶ全国的内乱。いわゆる源平合戦。元暦2年(1185)の壇ノ浦で平氏は滅亡し、守護・地頭の設置によって武家による全国支配の基盤が成立、鎌倉幕府の成立へとつながった。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

後白河天皇以仁王平清盛平宗盛平氏軍南都衆徒源行家源頼朝源義仲源義経4/95/266/28/178/239月〜10/610/2011/1712/28閏2/43/10夏〜4月5/117/2510月閏10/1〜11/191/202/72/193/2411月以仁王の令旨宇治平等院の戦い ▸源頼政・自刃福原遷都頼朝挙兵・山木襲撃山木兼隆・討死石橋山の戦い ▸大庭景親・先鋒房総再起・鎌倉入り ▸千葉常胤・共同富士川の戦い ▸平維盛・退避侍所の設置南都焼討 ▸平重衡・先鋒清盛死去墨俣川の戦い ▸義円・討死養和の飢饉で膠着北陸追討・火打城平維盛・先鋒倶利伽羅峠の戦い ▸平維盛・退避平氏都落ち ▸安徳天皇・退避十月宣旨水島・法住寺合戦 ▸宇治川の戦い ▸源範頼・共同一ノ谷の戦い ▸源範頼・共同屋島の戦い ▸壇ノ浦の戦い ▸安徳天皇・横死守護・地頭設置北条時政・交渉後白河法皇の子以仁王は平氏打倒の令旨を発し、源行家が使者となって諸国の源氏へ密かに伝えた。清盛は安徳天皇や上皇らを摂津福原へ移して遷都を強行したが、反発を受け半年で京へ還都した。伊豆の流人頼朝は北条時政らと挙兵し、目代山木兼隆の館を襲撃して討ち、東国での戦端を開いた。頼朝は追撃より東国の掌握を優先し、和田義盛を別当とする侍所を置いて御家人統制の礎を築いた。内乱の渦中、清盛が熱病で急死。跡を継いだ宗盛のもとで平氏一門の求心力は大きく揺らいだ。西日本を襲った大飢饉で兵糧が尽き、源平双方とも大規模な軍事行動を控えて戦線は膠着した。平氏は維盛率いる大軍を北陸へ発向させ、越前火打城を落として一時は義仲方を圧倒した法皇は頼朝に東海・東山道の支配権を公認する宣旨を下し、東国政権は朝廷公認の存在となった。頼朝は義経追討を名目に守護・地頭設置の勅許を得て、武家による全国支配の制度的基盤を固めた。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 軍・勢(部隊単位のライフライン。幟旗つき)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
  • 詳細 ▸サブ出来事の詳細図へリンク(タップで移動)
陣営
  • chotei
  • heishi
  • jisha
  • genji
  • kamakura
  • kiso

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