系図rekizu
本能寺の変前後

甲州征伐・武田氏滅亡

1582甲信戦国時代

経過

天正10年2月、木曾義昌の離反を機に織田信長が武田領へ総攻撃を発動した戦役。織田信忠軍が伊那口から、徳川軍が駿河から侵攻し、武田勝頼は新府城を捨てて逃走。3月11日、天目山麓の田野で勝頼一族が自害し、名門武田氏は滅亡した。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

織田信長織田信忠徳川軍北条軍武田勝頼木曾義昌2/12/32月2月中旬2/182月下旬2月末3/23/33/9頃3/113月中旬4月木曾氏が離反武田討伐を下令滝川一益・先鋒森長可・先鋒木曾へ討伐軍伊那口へ侵攻駿河へ侵攻徳川家康・先導伊豆駿東で攻勢穴山梅雪が内応穴山梅雪・交渉高遠城を攻略仁科盛信・討死新府城を放棄小山田氏離反小山田信茂・応ぜず田野で追撃滝川一益・先鋒土屋昌恒・討死天目山で自害武田信勝・自刃北条夫人・自刃甲府で論功行賞富士遊覧し帰還武田一門の木曾義昌が織田方に寝返り、武田領国の動揺が表面化した。信長は武田領への総攻撃を決し、嫡男信忠を先鋒として伊那口からの侵攻を命じた。勝頼は離反した木曾義昌へ討伐軍を送るが、鳥居峠で敗れて撃退された。信忠軍が伊那谷へ進撃。武田方の諸城は戦意を失い、次々と降伏・開城した。家康率いる徳川軍が駿河へ侵攻し、田中城など武田方拠点を攻略しつつ西から圧迫した。同盟を破棄していた北条氏も伊豆・駿東方面から武田領へ攻め入り、勝頼は三方から挟撃された。駿河江尻城主で武田一門の穴山梅雪が家康の調略に応じて離反し、武田氏の崩壊が決定的となった。信忠軍が武田方唯一の抗戦拠点・高遠城を力攻めで陥落させ、勝頼の弟仁科盛信は玉砕した。高遠落城の報に勝頼は完成間もない新府城を自焼して捨て、小山田信茂の岩殿城を頼った頼みの小山田信茂が郡内への受け入れを拒んで離反。行き場を失った一行は天目山方面へ向かった。滝川一益らの追撃隊が天目山麓の田野で勝頼一行を捕捉。土屋昌恒らわずかな旧臣が奮戦した。勝頼は嫡男信勝・北条夫人とともに自害し、甲斐源氏の名門武田氏は滅亡した。信長は諏訪・甲府に入って戦後処理を行い、滝川一益に上野、河尻秀隆に甲斐などを与えた。信長は家康の接待を受けつつ富士山を眺めながら駿河・遠江を経て安土へ凱旋した。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 変報・急報(知らせが届く)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 軍・勢(部隊単位のライフライン。幟旗つき)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • 織田
  • 徳川
  • hojo
  • takeda

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