系図rekizu
治承・寿永の乱前後

以仁王・源頼政の挙兵と宇治平等院の戦い

1180近畿平安時代

経過

治承4年5月、後白河法皇の子以仁王が源頼政とともに平氏打倒の兵を挙げた事件。計画露見後、一行は園城寺から南都へ逃れる途上、宇治で平氏の追討軍に捕捉され、頼政は平等院で自刃、以仁王も討たれた。挙兵は失敗したが、発せられた令旨は諸国の源氏挙兵の大義名分となり、治承・寿永の乱の口火を切った。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

以仁王源頼政平清盛平氏軍園城寺衆徒4/95/155/15夜5/215/25夜5/26平氏追討の令旨計画が露見園城寺へ脱出頼政が挙兵合流南都へ向け脱出宇治橋の合戦平知盛・先鋒平等院で自刃源仲綱・自刃以仁王討死頼政の勧めもあり、以仁王は最勝親王と称して平氏追討の令旨を発し、行家が諸国の源氏へ届けた。令旨の存在が平氏方に漏れ、清盛は以仁王の皇籍剥奪と土佐配流を決めて捕縛の兵を差し向けた。追捕の直前、以仁王は女装して三条高倉の御所を脱し、園城寺へ逃げ込んで衆徒の庇護を受けた。追討側と目されていた頼政は自邸を焼き払い、一族を率いて園城寺へ入り以仁王方に立った。延暦寺は動かず園城寺は孤立。一行は興福寺の援軍を頼み、夜半に南都を目指して寺を発った。追討軍は宇治で一行に追いつき、橋板を外して防戦する頼政勢と宇治川を挟んで激戦となった。衆寡敵せず頼政は平等院の芝の上で辞世を残して自刃。嫡男仲綱ら一族も相次いで果てた興福寺の援軍を目前に、以仁王は光明山鳥居前で追手の矢を受けて落命した。令旨は生き続けた。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 変報・急報(知らせが届く)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 軍・勢(部隊単位のライフライン。幟旗つき)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • chotei
  • genji
  • heishi
  • jisha

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登場人物

主要人物

以仁王源頼政平清盛平氏軍園城寺衆徒

その他の人物