系図rekizu
本能寺の変前後

賤ヶ岳の戦い

1583近江戦国時代

経過

天正11年4月、織田家の主導権を巡って羽柴秀吉と柴田勝家が北近江で激突した決戦。佐久間盛政の大岩山奇襲に対し、秀吉は美濃大返しで急転回して反撃し、前田利家の戦線離脱もあって柴田軍は崩壊。勝家は北ノ庄城でお市の方とともに自害し、秀吉の覇権が確立した。

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羽柴秀吉柴田勝家佐久間盛政前田利家織田信孝3月上旬3月中旬4月中旬4/194/204/20夜4/21未明4/214/245月北近江へ出陣佐久間盛政・先鋒木ノ本に布陣岐阜で再挙兵中入りを承認大岩山を奇襲中川清秀・討死高山右近・退避美濃大返し賤ヶ岳で反撃戦線を離脱北ノ庄へ敗走北ノ庄で自害お市の方・自刃自害織田信雄・共同雪解けを待った勝家は約3万を率いて越前を発し、北近江の柳ヶ瀬付近に布陣した。秀吉は賤ヶ岳一帯に砦群を築いて対峙し、両軍は約1か月にらみ合いを続けた。勝家に呼応して信孝が岐阜城で再び挙兵。秀吉は主力を率いて美濃大垣へ転進した。秀吉不在の隙を突き、勝家は盛政の献策した敵中突破の奇襲策を認めた。盛政隊は大岩山砦を急襲して陥落させ、守将の中川清秀は奮戦の末に討死した。急報を受けた秀吉は大垣から木ノ本まで約50kmを5時間余で駆け戻ったと伝わる。帰還した秀吉軍は撤退中の盛政隊に総攻撃をかけ、賤ヶ岳山上で激戦となった。柴田方として布陣していた前田利家が突如兵を退き、柴田軍の側面が崩壊した。全軍崩壊のなか勝家は越前北ノ庄城へ敗走し、秀吉軍がただちに追撃した。包囲された勝家は天守に火を放ち、妻のお市の方とともに自害して果てた。後ろ盾を失った信孝は信雄に攻められて降伏し、尾張野間で自害させられた。

登場人物