系図rekizu
治承・寿永の乱前後

宇治川の戦いと義仲の滅亡

1184近畿平安時代

経過

寿永3年1月、頼朝の命を受けた範頼・義経の軍が宇治・瀬田で義仲軍を破って入京した戦い。宇治川では佐々木高綱と梶原景季の先陣争いが名高い。敗れた義仲は近江粟津で討死し、今井兼平も自害。上洛からわずか半年で義仲政権は崩壊し、京の軍事的主導権は頼朝方へ移った。

主要人物のライフラインと時系列で、出来事の経過を追えます。図の記法は下の凡例をご覧ください。

源頼朝源範頼源義経源義仲1月初1/20義仲追討を下命宇治川を突破佐々木高綱・先鋒梶原景季・先鋒瀬田口を突破入京し法皇保護粟津へ敗走巴御前・退避粟津で討死今井兼平・自刃法皇幽閉の報を受けた頼朝は、範頼・義経に大軍を授けて義仲追討のため上洛の途に就かせた。義経軍は増水した宇治川の防衛線を強行突破。佐々木高綱と梶原景季の先陣争いで名高い範頼の本隊は今井兼平が守る瀬田の橋を破り、義仲軍は南北から挟み撃ちの形に追い込まれた。義経はいち早く入京して六条殿の後白河法皇の御所を確保し、義仲の京都支配は瓦解した義仲は少数の郎党と北陸を目指して落ち延び、途上で今井兼平と巡り会い最期を共にせんとした。義仲は近江粟津の深田で顔面に矢を受け討死。兼平も壮絶な自害を遂げ、その政権は半年で潰えた。

図の記法

  • 命令・攻撃・招請・合流(相手への働きかけ)
  • 移動・出陣・要請(その人物自身の行動)
  • 討死・自害(以降そのライフラインは途切れる)
  • 人物(タップでその人物の系図へ)
  • 付随する人物と役割(先鋒・討死・静観 など)
陣営
  • kamakura
  • kiso

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