かじゅうじ つねはや
勧修寺経逸
江戸時代の公卿。勧修寺顕道の次男。正二位権大納言、本座宣下、按察使、院執権、武家伝奏、贈内大臣。勧修寺家23代
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親族情報
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人物要約
勧修寺経逸(1748年〜1805年)は、江戸時代の公卿。勧修寺顕道の次男。正二位権大納言、本座宣下、按察使、院執権、武家伝奏、贈内大臣。勧修寺家23代。享年57歳。
系図上の位置
勧修寺経逸は勧修寺顕道と稲葉恒通の娘 (勧修寺顕道の正室)の子である。配偶者は池田数計子、飛鳥井雅重の娘 (勧修寺経逸の正室)。子に勧修寺婧子、勧修寺良顕、芝山国豊、勧修寺経逸の娘 (坊城俊明の妻)、冷泉為起ら計6名がいる。
主要な親族
よくある質問
勧修寺経逸の父親は誰ですか?
勧修寺経逸の父は勧修寺顕道です。
勧修寺顕道の詳細 →勧修寺経逸の母親は誰ですか?
勧修寺経逸の母は稲葉恒通の娘 (勧修寺顕道の正室)です。
稲葉恒通の娘 (勧修寺顕道の正室)の詳細 →勧修寺経逸の子孫は誰ですか?
勧修寺経逸の子には勧修寺婧子、勧修寺良顕、芝山国豊らがいます。さらに詳しい子孫は系図ページでご覧いただけます。
勧修寺経逸の子孫系図を見る →勧修寺経逸は誰の家系ですか?
勧修寺経逸は勧修寺顕道の家系に属します。勧修寺顕道の先祖を辿ることで、より広い家系を確認できます。
勧修寺顕道の先祖を見る →勧修寺経逸はいつ生まれましたか?
勧修寺経逸は1748年に生まれ、1805年に亡くなりました(享年57歳)。
関連人物
- 勧修寺顕道勧修寺家21代。従二位・権大納言、神宮上卿。子に娘(早世)、槌丸(日厳院堯海) 、慶光院周億
- 稲葉恒通の娘 (勧修寺顕道の正室)
- 池田数計子勧修寺経逸の継室
- 飛鳥井雅重の娘 (勧修寺経逸の正室)飛鳥井雅重(権大納言)の娘
- 勧修寺婧子母はあるいは家女房。光格天皇の典侍・女院。従三位、贈准三宮・准后。子に多祉宮(1808.1.29-6.23、次女、善行院)、娍宮(1817.11.3-1819.1.31、四女、波類宮、尊勝光院宮)
- 勧修寺良顕勧修寺家24代。従三位・参議、踏歌外弁
- 芝山国豊芝山持豊(権大納言)の養子。宮内大輔
- 勧修寺経逸の娘 (坊城俊明の妻)坊城俊明(権大納言)の妻
- 冷泉為起下冷泉家15代。勧修寺経逸の末子。正三位・非参議、右近衛権中将
- 勧修寺真正親町三条公則の正室