よしだ つねとし
吉田経俊
鎌倉時代前期から中期の公卿。吉田資経の次男。正二位・中納言。後嵯峨上皇の側近。子孫は坊城家・中御門家。子に吉田俊氏(子に定親、経持、定朝、定快(法印、権大僧都)、経円(法印、権大僧都))、吉田俊方(近江守、正五位下)、 為定(刑部卿)、経誉(興福寺別当、権僧正)、中納言貞平の妻、藤原忠雄の妻
家系図プレビュー
親族情報
- 父
- 吉田資経
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人物要約
吉田経俊(1214年〜1276年)は、鎌倉時代前期から中期の公卿。吉田資経の次男。正二位・中納言。後嵯峨上皇の側近。子孫は坊城家・中御門家。子に吉田俊氏(子に定親、経持、定朝、定快(法印、権大僧都)、経円(法印、権大僧都))、吉田俊方(近江守、正五位下)、 為定(刑部卿)、経誉(興福寺別当、権僧正)、中納言貞平の妻、藤原忠雄の妻。享年62歳。
系図上の位置
吉田経俊は吉田資経の子である。子に坊城俊定、中御門経継、吉田経俊の娘 (堀川具守の室)、吉田経俊の娘 (正親町三条実仲の妻)、吉田経世ら計7名がいる。
主要な親族
よくある質問
吉田経俊の父親は誰ですか?
吉田経俊の父は吉田資経です。
吉田資経の詳細 →吉田経俊の母親は誰ですか?
吉田経俊の母親についての情報は系図データに記録されていません。
吉田経俊の子孫は誰ですか?
吉田経俊の子には坊城俊定、中御門経継、吉田経俊の娘 (堀川具守の室)らがいます。さらに詳しい子孫は系図ページでご覧いただけます。
吉田経俊の子孫系図を見る →吉田経俊は誰の家系ですか?
吉田経俊は吉田資経の家系に属します。吉田資経の先祖を辿ることで、より広い家系を確認できます。
吉田資経の先祖を見る →吉田経俊はいつ生まれましたか?
吉田経俊は1214年に生まれ、1276年に亡くなりました(享年62歳)。
関連人物
- 吉田資経鎌倉時代前期から中期の公卿。甘露寺家10代。吉田定経の長男。正三位・参議。『平家物語』の作者?。子に吉田高経(1215-1282、三男、子に禅俊(仁和寺、阿闍梨)、経澄(延暦寺、阿闍梨)、経顕(若狭守、正五下)、憲経(若狭守、正五下)、為忠(民部大輔)、経有-経全(経金、延暦寺))、吉田資継(五男、蔵人、従四下、備中守、治部権大輔)、経海(母は神崎遊女、寺、山、僧正)、経尊(子に経賀)、
- 坊城俊定鎌倉時代後期の公家。参議、正二位・権大納言。坊城家の祖・初代。子に坊城俊平(子に俊藤(木工頭、正五位下))
- 中御門経継鎌倉時代後期の公卿。権大納言。中御門家の祖・初代。勅撰集『新後撰和歌集』以下に42首入集
- 吉田経俊の娘 (堀川具守の室)
- 吉田経俊の娘 (正親町三条実仲の妻)子に正親町三条公躬(1290-1342、刑部卿、従二位)
- 吉田経世
- 経円延暦寺、法印
- 吉田経俊の娘 (吉田経藤の妻)