がもう ひでゆき
蒲生秀行 (侍従)
安土桃山時代から江戸時代初期の大名。陸奥会津藩主。蒲生氏郷の嫡男(長男あるいは次男)。従四位下飛騨守、侍従
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親族情報
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人物要約
蒲生秀行 (侍従)(1583年〜1612年)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名。陸奥会津藩主。蒲生氏郷の嫡男(長男あるいは次男)。従四位下飛騨守、侍従。享年29歳。
系図上の位置
蒲生秀行 (侍従)は蒲生氏郷と相応院 (蒲生氏郷正室)の子である。配偶者は正清院。子に蒲生忠郷、蒲生忠知、崇法院がいる。
主要な親族
よくある質問
蒲生秀行 (侍従)の父親は誰ですか?
蒲生秀行 (侍従)の父は蒲生氏郷です。
蒲生氏郷の詳細 →蒲生秀行 (侍従)の母親は誰ですか?
蒲生秀行 (侍従)の母は相応院 (蒲生氏郷正室)です。
相応院 (蒲生氏郷正室)の詳細 →蒲生秀行 (侍従)の子孫は誰ですか?
蒲生秀行 (侍従)の子には蒲生忠郷、蒲生忠知、崇法院がいます。さらに詳しい子孫は系図ページでご覧いただけます。
蒲生秀行 (侍従)の子孫系図を見る →蒲生秀行 (侍従)は誰の家系ですか?
蒲生秀行 (侍従)は蒲生氏郷の家系に属します。蒲生氏郷の先祖を辿ることで、より広い家系を確認できます。
蒲生氏郷の先祖を見る →蒲生秀行 (侍従)はいつ生まれましたか?
蒲生秀行 (侍従)は1583年に生まれ、1612年に亡くなりました(享年29歳)。
関連人物
- 蒲生氏郷戦国時代から安土桃山時代の武将。近江日野城主、伊勢松阪城主、陸奥黒川城主。蒲生賢秀の三男・嫡男。母はおきり(後藤播磨守の娘)。キリシタン大名。従四位下侍従、正四位下左近衛少将、従三位参議。近江蒲生氏19代
- 相応院 (蒲生氏郷正室)戦国時代から江戸時代初期の女性。織田信長の次女? 長女?。蒲生氏郷の正室
- 正清院安土桃山時代から江戸時代前期の女性。徳川家康の三女。蒲生秀行の正室、のち浅野長晟の正室。
- 蒲生忠郷江戸時代初期の大名。蒲生氏21代。陸奥会津藩2代藩主。蒲生秀行の長男。従三位参議、下野守
- 蒲生忠知江戸時代前期の大名。出羽上山藩主、伊予松山藩主。蒲生秀行の次男。正四位下侍従。蒲生氏当主
- 崇法院加藤忠広の正室