吉田定経の系図
吉田定経(1158−1231)を中心とした家族の系図。父は吉田経房。母は平範家の娘 (吉田経房室)。子に吉田資経、吉田経子、吉田経賢、吉田定経の娘 (水無瀬信成の妻)がいる。
平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。甘露寺家9代。吉田経房の長男。従三位・参議。子に吉田為定(従五下越前守)、吉田経親(良経、従五下)、吉田光経(従五上)、能経(仁和寺法印)、弁経(園城寺律師)、定愉(延暦寺)、房通(醍醐寺)、経舜(子に経全)
系図の説明
この系図は吉田定経を中心とした家族の系図です。吉田定経は平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。甘露寺家9代。吉田経房の長男。従三位・参議。子に吉田為定(従五下越前守)、吉田経親(良経、従五下)、吉田光経(従五上)、能経(仁和寺法印)、弁経(園城寺律師)、定愉(延暦寺)、房通(醍醐寺)、経舜(子に経全)。系図には11名の人物が含まれています。1158年から1225年まで、約67年にわたる系譜です。父は吉田経房。母は平範家の娘 (吉田経房室)。4人の子がいる。
系図の重要ポイント
- 1婚姻
吉田家と源・平家の婚姻関係が見られます。
- 2女性
系図中には3名の女性が記録されています。
この系図の主要人物
1181年〜1251年
鎌倉時代前期から中期の公卿。甘露寺家10代。吉田定経の長男。正三位・参議。『平家物語』の作者?。子に吉田高経(1215-1282、三男、子に禅俊(仁和寺、阿闍梨)、経澄(延暦寺、阿闍梨)、経顕(若狭守、正五下)、憲経(若狭守、正五下)、為忠(民部大輔)、経有-経全(経金、延暦寺))、吉田資継(五男、蔵人、従四下、備中守、治部権大輔)、経海(母は神崎遊女、寺、山、僧正)、経尊(子に経賀)、
1214年〜1276年
鎌倉時代前期から中期の公卿。吉田資経の次男。正二位・中納言。後嵯峨上皇の側近。子孫は坊城家・中御門家。子に吉田俊氏(子に定親、経持、定朝、定快(法印、権大僧都)、経円(法印、権大僧都))、吉田俊方(近江守、正五位下)、 為定(刑部卿)、経誉(興福寺別当、権僧正)、中納言貞平の妻、藤原忠雄の妻