系図rekizu
深さ 2
Mini Map
金色ボタンで子孫を展開
クリックで血脈ハイライト ・ ↗で詳細ページ

吉田資経の系図

吉田資経(1181−1251)を中心とした家族の系図。父は吉田定経。母は平親範の娘 (吉田定経室)。子に吉田経俊、吉田為経、万里小路資通、吉田資経の娘 (藤原親俊の妻)がいる。

鎌倉時代前期から中期の公卿。甘露寺家10代。吉田定経の長男。正三位・参議。『平家物語』の作者?。子に吉田高経(1215-1282、三男、子に禅俊(仁和寺、阿闍梨)、経澄(延暦寺、阿闍梨)、経顕(若狭守、正五下)、憲経(若狭守、正五下)、為忠(民部大輔)、経有-経全(経金、延暦寺))、吉田資継(五男、蔵人、従四下、備中守、治部権大輔)、経海(母は神崎遊女、寺、山、僧正)、経尊(子に経賀)、

系図の説明

この系図は吉田資経を中心とした家族の系図です。吉田資経は鎌倉時代前期から中期の公卿。甘露寺家10代。吉田定経の長男。正三位・参議。『平家物語』の作者?。子に吉田高経(1215-1282、三男、子に禅俊(仁和寺、阿闍梨)、経澄(延暦寺、阿闍梨)、経顕(若狭守、正五下)、憲経(若狭守、正五下)、為忠(民部大輔)、経有-経全(経金、延暦寺))、吉田資継(五男、蔵人、従四下、備中守、治部権大輔)、経海(母は神崎遊女、寺、山、僧正)、経尊(子に経賀)、。系図には16名の人物が含まれています。1181年から1258年まで、約77年にわたる系譜です。父は吉田定経。母は平親範の娘 (吉田定経室)。4人の子がいる。

系図の重要ポイント

  • 1
    婚姻

    吉田家と藤原家の婚姻関係が見られます。

  • 2
    女性

    系図中には4名の女性が記録されています。

この系図の主要人物

1210年〜1256年

吉田資経の長男、中納言、甘露寺家11代。子に冷泉経頼

1214年〜1276年

鎌倉時代前期から中期の公卿。吉田資経の次男。正二位・中納言。後嵯峨上皇の側近。子孫は坊城家・中御門家。子に吉田俊氏(子に定親、経持、定朝、定快(法印、権大僧都)、経円(法印、権大僧都))、吉田俊方(近江守、正五位下)、 為定(刑部卿)、経誉(興福寺別当、権僧正)、中納言貞平の妻、藤原忠雄の妻

1225年〜1306年

鎌倉時代中期の公卿。吉田資経の四男。藤原北家勧修寺流万里小路家の祖・初代。従三位、非参議。子に経持-寛海(延暦寺)

1233年〜1297年

1233-1297, 鎌倉時代中期の公卿。吉田為経の次男。官位は正二位・権大納言。号は中御門大納言。勅撰集『続拾遺和歌集』以下に15首入集

1239年〜1309年

鎌倉時代中期から後期の公卿。甘露寺家12代。吉田為経の三男。正二位・権大納言。日記『吉続記』

1251年〜1310年

鎌倉時代後期の公家。参議、正二位・権大納言。坊城家の祖・初代。子に坊城俊平(子に俊藤(木工頭、正五位下))

1258年〜1288年

鎌倉時代後期の公卿。権大納言。中御門家の祖・初代。勅撰集『新後撰和歌集』以下に42首入集

1258年〜1348年

鎌倉時代中期~南北朝時代の公卿。従一位・大納言、贈左大臣。後醍醐天皇の側近。雑訴決断所頭人(建武政権)。『万一記』。万里小路家2代。出家。母は宗清(八幡別当法印、八幡検校)

子に正親町三条公躬(1290-1342、刑部卿、従二位)

系図に登場する人物(16名)

吉田資経の系図 | 系図 rekizu | 系図 rekizu